top of page
少女の読書

奇跡のような本当の話①を聴いてください

 私の息子は妊娠出産時に低酸素脳症で生まれ、現在は重度の肢体不自由と知的障害があります...

 

 息子がまだ幼い時に、かかりつけ医から「あなたの子は健康なお子さんと違います。生きている間に歩けるようになることはありません」と宣告されました。そのときの私は、言葉に表現できないほどの深い悲しみと自責の念に苛まれた思い出があります。

 しばらく数年間は息子の障害の受容もままならず、永く絶望の歩みを辿っていました。やがて、息子が肢体不自由児を専門とする特別支援学校に入学したての頃にようやく座位が自立し、学校のツルツル滑る短い廊下を車いすで自走できるようにまで成長していました。このまま一生を寝返りすらできないのではないかと心配していた昔を振り返ると、ここまで息子が成長できたことに私は大きな喜びを感じずにはいられません。絶望の淵から私を救ってくれたのは息子だったのです。

 息子が新たな学校生活にようやく慣れてきた頃に同じく障害児の母友から「からだの専門家」が近所に来るらしく、誰でも受けられるからぜひ会ってみないかと紹介され、予定のなかった私は息子と二人で近所にある区の公民館会場に足を運んでみることにしました。マットが敷き張られた会場の一室には、すでに息子と同じような肢体不自由の子どもたちが10名ほど集まっていて、会場の前方にあるホワイトボードには理学療法士の大山先生の名前がありました。講師の大山先生はまだ30代の若い男の先生でした。大山先生は子どもたち一人ひとりのからだの状態を診るために順番に巡回され、それぞれのご家族に対して丁寧にアドバイスをされている姿を拝見して、とても真面目で誠実な印象を受けました。

 そして、ようやく息子に順番がやって来ました。息子の成育歴等、簡単な問診を受けた後に、大山先生が実際に息子のからだに触れて一緒に手足を動かしたり、座り姿勢を確認してくれました。さらに続いて、座位から膝立ち、次いで片膝立ちや立位へと姿勢を巧みに変換させ、補助していく様子を目の当たりにしました。まるで大山先生が息子のからだの可能性を懸命に探ってくれているような、そんな光景を見ている気持ちでした。私の眼前にいる息子が生き生きとした表情に移り変わり、動きが引き出され、変化していく姿勢や動作に私は驚きを隠すことができず、夢を見ているかのような錯覚まで覚えました。そして、最後に大山先生の口から衝撃の言葉を聞くことになったのです。

 

 「お母さん、たけるくんのからだは歩きたい強い意志をお持ちです。そのために、これからしっかりとからだの準備をしていけばこの子は自分の力で歩けるようになります」

 これまで一度も立った経験のなかった息子のからだが歩きたがっているとの言葉を聞いた時は、正直に頭の中に?がつきました。まして、遠い昔の頃にかかりつけ医から、この子は一生歩けるようにはならないと宣告されていましたから、いきなりそんなことを言われても受け入れられなくて当然でした。

 疑問と動揺を隠せない心理状況のなかで、息子の可能性を信じたいと思った私は大山先生の言葉を信じることに決めました。それから2年ほど経ち、大山先生のからだの教室に毎月通い続けた息子は、短い距離を自分の足と力だけでしっかりと大地を踏み締めながら歩くことができるようにまで成長しました。言葉を持たず、ぼんやりとした表情で一日を座って過ごしていた2年前と違って、今の息子はキラキラと瞳を輝かせ、高らかに発声するようになり、好きな玩具、好きな人の所へ、自らの意志と努力で歩くことができるようになりました。まるで、自分の人生に自覚と責任が芽生えたかのように自発・主体的に「今」を経験することができています。

 

 「あ~、この子は生まれた時からずっと、自分の翼で飛んでみたかったのね。自分のからだでこのひろい世界を経験したかったのね」

 

 私は大山先生との2年間の時を重ねて、息子の本当の気持ち(可能性)に気づけたのでした。肢体不自由のお子さんにとって歩けるようになることを目標に置くことは、今の時代に見合わないことを重々承知しておりますが、自分のからだで自分が望むように世界を経験できることが、その子の生きる力を育むきっかけになることを深く学びました。そういう意味で、息子にとっては自分の足で、自分の力で大地を踏み締められたことに、単に歩くという動作の獲得以上の大きな価値や喜びがあったのだと考えられるようになりました。

 「わたしは親として子どもの発達可能性を誰よりも信じたい。子どもの持てる力を最大限に発揮できるように親として努力できることは何でもしてあげたい。もし、わたしの子どもが自分の足で歩きたいと望んでいたら、歩けるようにしてくれる立派な先生を見つけてくる。あなたのためになら、おかあさんはどんなことでもがんばれる。おかあさんは絶対にあきらめないから。おかあさんは誰よりもあなたを信じてる...」

 生まれて間もなく、かかりつけ医から生涯歩けるようになることはないと宣告された私の息子が自分の力で歩けるようになり、生きる力が育まれていった奇跡のような話は私の息子だけではなく、大山先生の元に集まる子どもたちに数多くあります。私はこの奇跡のようで現実のお話をより多くの親に伝えていきたいと思いました。支援を必要としている多くのご家族が大山先生と繋がることこそ、私たちにできる最善の努力であり社会貢献であると考えた結果、親によって運営していくホームページを立ち上げることを決意しました。このホームページを通じて、皆さんが大山先生を知り、大山先生と繋がり、これからも奇跡のようなお話が子どもたちのなかに広がっていくことを切に願ってやみません。

令和5年4月1日千葉県在住

母 永野みほ

兄弟のピギーバック

奇跡のような本当の話②を聴いてください

 私の子どもは、強度行動障害のある自閉症の男の子です...
 

 私には一人の子どもがいます。かけがえのない一人息子です。この子が生まれるずっと前から私は子育てに憧れ、我が子を一生をかけて育てていくことを夢見ていました。
 結婚してすぐに天のご加護があって健康な男の子を出産することができました。初めて我が子を抱いた時の肌の感触や温もりは、今でも鮮明に思い出すことができます。出産してから暫くは、寝かしつけがうまくいかず夜も眠れない日々が続きからだは大変だったけれど、夢にまで見ていた育児生活は本当に愛おしく幸せでした。そんな日々がこれからもずっと、ずっと続いていく人生を想像して「私はなんて幸福なのでしょう」と思い、こころのなかで神さまに深く、深く感謝せずにはいられませんでした。
 時を経て、15歳になった私の子どもは強度行動障害とよばれる男の子に変わっていました。これまでの育児生活は想像を絶する辛さ、悲しさ、恐怖に支配されていました。私の子どもは、突発的で衝動的な自傷行為や他害行為があります。手首には大きな自傷の瘤の痕を作り、髪の毛は自分で抜きちぎったため右頭部半分はほとんど生えていない状態です。また、自分の手で眼球を強く叩く行為により眼窩が陥没してしまい顔面が大きく腫れています。家庭内では夜中にドライブに連れて行ってくれないと夜通し奇声をあげて泣き、怒り続けます。家の壁紙はズタボロに剥がれされ、壁の至る所には蹴り穴が作られ、子どもから目を離した後に便が床にまみれていることも日常茶飯事でした。
 こんな私の子どもだから息子を好きになってくれた人は一人もいませんでした。みんな私の子どもを見ると嫌悪の表情で遠くに除けていきます。学校の先生も私の子どもを担任することを避けていたと聞きました。傍によってきてくれる友達は一人もおらず、放課後等デイサービスはすべて他害行為により強制退所させられました。子どもの症状が重くなっていった頃に夫は家から出ていきました。

 「もういっそ、この子と一緒に死んでしまいたい。死んだらきっとこの子も救われるし、楽になれる。お母さんだけはあなたのことを見捨てたりしない。あなたは私の愛する子。夢にまで欲しかった私の赤子。お母さんはいつまでもあなたの傍にいる...」

 死ぬことを覚悟したことは何度もありましたが、勇気のなかった私だから今も生きています。やがて、私はあなたのお母さんとして私が生きている間に、将来あなたを支えてくれる施設を探して回ることに決めました。

 ある日、障害支援関係の方から一つの情報をもらいました。その方の情報によると、強度行動障害のある子どもの様子を個別に時間を設けて診てくれる専門家が隣町の公民館に来るらしいと。申し込みをしたいからいますぐに返事を頂戴と言われ、その時は言われるがままに私は二つ返事で承諾しました。  

 そして当日、私は後部座席に子どもを乗せ、会場に向かって車を走らせました。車の中は子どもが大好きなアンパンマンマーチが繰り返し再生されていた...会場に到着後、初めての場所が苦手な子どもはすぐに癇癪を起こし、手首の大きな瘤を力一杯に噛み締めながら反対の手で髪の毛を引きちぎり、大きな奇声をあげて飛び跳ねた後にコンクリートに倒れ込みました。しばらくその場から動けなくなってしまったのですが、そこに一人の男性がやってきて声を掛けてくれたのです。

 

 「大丈夫ですか、お母さん」

 

 外出先で他人の方から声を掛けてくれたのは、この子がまだ幼かった頃の記憶しかありませんでしたのでうまく返事ができませんでしたが、すぐにこの人が専門家の大山先生であることを知りました。大山先生は、コンクリートに倒れ込む息子を抱え起こして「もう大丈夫だよ」と優しい眼差しで息子を抱きしめてくれました。しかし、私以外の人から触れられた経験のほとんどなかった息子は大山先生の腕をひっかき、おもいきり噛みつき、髪の毛を強く握りしめました。なんと酷い、痛いことを先生にしてしまっているのだろうと、息子を叱り辞めさせようとした時に、大山先生が「お母さん、大丈夫ですよ。しばらくそのままにしてあげてください。そのうちに自分から手を離してくれますから。それまで気長に待っていてください」。こんなに痛々しい状況なのに大山先生は息子の気持ちを気遣ってくれました。そして、「けんとくん。今日は会いに来てくれてありがとう。先生はうれしいよ。好きなだけ大山先生を噛み締めてほしい。けんとくんが落ち着けるのであれば先生はそうしていたい」。痛々し状況が30分ほど続きました。その間に大山先生の優しい語りかけは続き、息子の方から離れていくことができました。先生は息子がしたことを気にも留めずに、すぐに子どもの手を取って「部屋に案内しましょう」と息子とともに歩き始めました。息子の表情は落ち着いていて安心していることがわかりました。私じゃない誰かと、息子が一緒に手を繋いで歩いている光景を後ろから眺めいたら涙が溢れ出して止まりませんでした。
 辿り着いた会場の部屋は20畳ほどの和室でした。中央にジョイントマットが敷かれていて、そこで大山先生が子どものからだに触れて動かすようにリラックスの学習を行ってくれました。氷のように硬く緊張しきった息子のからだ(心)が大山先生の温かな手(心)によって解きほぐされていくように、初めて息子は信頼できる人を見つけることができたのでした。

​ 大山先生と出会って以降、現在の息子は自傷行為や他害行為がほとんど見られなくなりました。毎月開催している大山先生のリラックス教室に参加できることが息子の最大の喜びとなっています。

令和5年5月1日東京都在住

母 植松かなえ

ストーリータイム

奇跡のような本当の③を聴いてください

準備中

bottom of page